家族や自然を愛するように建築を愛し、関わる人、使う素材すべてに喜びを伝播させる事。美しい空間を生み出す方法は、それ以外にない。

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INTERVIEWS:
宇野友明 = 建築家 / 棟梁 Tomoaki Uno = Architect / Pillar

建築を作る喜びを形にする。建築に関わる人全ての人たちの想いを形にする。それがクライアントに贈る最大のギフトという宇野友明は、建築家であり棟梁でもある。彼が創る’’見たことのない普通のたてもの’’は、スクラップ&ビルド建築業界において異彩を放つ。宇野友明の哲学に迫る。

建築を作る喜びがクライアントへのギフト
建築を考えるときに大切なことは永く建っていることだと思う。それには5つのことが考えられる。①耐震性や耐候性などの構造的なこと、②世代や用途などが変わる機能的なこと、③愛着などの情緒的なこと、④光熱費や維持費、改築費用などの経済的なこと、⑤都市計画や法律などの変更による社会的なことがある。社会的な要因を除けば、私が出来ることはかなりある。そのために流行などに惑わされずシンプルで機能的なデザインに徹し、規模を抑えて素材や造りに費用と手間をかけるようにしている。特に情緒的なことに関して施工をしているからこそ出来ることがある。

私は、建築は見えないもので出来ていると信じている。それは職人や事務所のスタッフ、材料を提供する人たち、私の建築に関わる人たちの想いや喜びがクライアントへの最大のギフトだと思っている。それは決して見えないものだけれど、滲み出る空気感となって住まう人の心に届くと思う。目に見えないものであるからこそ感じることが出来る。

永く建ち続けることの中に建築の価値の全てがある
悠久のときを経ても今も尚建ち続けている法隆寺や南大門、桂離宮などがある。私は、それらと同じ土俵で建築を作りたいと思ってきた。それは永く建ち続けることの中に建築の価値の全てがあると思っているからだ。それらの建築はいかなる場合も寛容だ。木組みによる構造は耐震性やメンテナンスのしやすさに優れる。最小限の機能によるシンプルなプラン。様々な時代のあらゆる状況に柔軟に対応してきた。

あるとき建築雑誌に紹介されていた若い建築家の作品を見ていたら、その家には庇がないばかりでなく外壁の仕上げは合板だった。恐らくその外壁は数年でメンテナンスか張り替えが必要になるだろう。クライアントが納得しているのだから外野がとやかく言う筋合いではないが、建築家は何をどこまでクライアントに説明しているのだろうか。また建築家の経験や知識も疑いたくなる。私感だけれど、これはおそらくコンセプトを優先して現実的な対応に予算がかけられなかったからだと思う。私にはこれは現場で行なう実証実験のように思う。我欲を優先して倫理観に欠ける姿勢は、必ずその後始末をクライアントと工務店が追わざるを得なくなる。

建築家の生き様が建築に現れる
ものづくりは生き方や日常がそのまま現れてしまうのだ。日常にある無意識が建築に現れてしまう。これは意識的に出来ることではない。だから良く生きること以外に良い建築を作る方法はない。

私は同じディティールを使わないようにしている。一見同じデザインのように見える時もあるが、実はディティールはいつも違う。建築を作る最大の喜びは新たな自分を発見することだ。幼い頃、初めて歩くことができたとき、会話で自分の意思が通じたときの感動をこの60歳を超えた今も感じたいと思っている。ディティールを繰り返すことは、そんな喜びや発見を失ってしまうこと。私にとってそれは建築をする喜びを失ってしまうことに等しい。繰り返すことの理由はなんだろう。私には不誠実なことしか思いつかない。それは私の生き方ではない。今後もそれは変わらないだろう。もし繰り返したくなった時、それは建築を辞める時だと思う。私がスタッフにディティールを任せたり、プランを考えさせたりした時、それは自分自身を裏切ってしまったときだ。私の目的は明確だ。命が尽きるまで自己発見の喜びを感じ続けていたい。

最近、私のクライアントは人類ではないかと思うようになった。もちろん目の前のクライアントのために全力を尽くすことに違いはないが、クライアントに対する深く本質的な貢献はもっと広い視野に立った建築を作ることだと思うようになった。実は私がこう考えるようになったのは、中学校の数学の躓きだったことを最近知った。ある時、養老孟司さんの本を読んでいたら「A=BやX=Yなどの代数でつまずく子供がいる」とあった。それはまさしく私のことだった。AがBであったとしたらAは必要ないじゃないか!そこに引っかかって一歩も前に進めなかったのを覚えている。それについて養老さんはシンプルに「倫理観の問題」と結論づける。違うものを同じとみなせないのは倫理観の問題以外にないと。

私は建築にも大学で建築教育を本格的に受けるようになってからこれと同じ違和感をずっと持ち続けていた。建築を言葉やCGなどで伝えることが常識とされるこの業界でそれに抗うように自分なりの方法を模索してきた。その結論が全ての判断を自身の倫理観に頼ることだった。その結果、人類がクライアントであるということ。成果として創造力と幸福感を得られるようになった。

養老孟司さんは時々講演会で黒いマジックで「白」と書くパフォーマンスをする。会場にいるほとんどの方はそれを「白」と答える。しかし、人間以外の動物たちはそれを「黒」と認識する。実は人間も感覚では「黒」と認識するが、意識で「白」と判断する。色や明るさ、味や匂い、暑さ寒さなど感覚は違いを感じる機能だ。一方、意識は全てを同じにする。例えば、「世界に一つだけの花」という歌があるが、この世に二つとして同じ花はない。当たり前のことが歌詞になって大ヒットする時代だ。人間は意識的に違うものをどれだけ同じにしてしまうのだろうか。

その反面、言葉は本当に便利で色々な説明を省いて多くの人と情報を共有できる。でも、言葉は感覚を無視してしまうことが多く、人の数だけ存在する感覚を言葉で表現することは出来ない。そこに人間の「孤独」という病が生まれ、さまざまな困難やトラブルを引き起こす。聖書に有名な楽園追放の話がある。人間は本来自然の一部であり、自然の循環の中で生と死を繰り返す生物であった。

ある時、アダムとイブと名付けられた雌雄の生物が自然という楽園から追放された。しかし、依然として楽園(自然)の食物を食べ新陳代謝を繰り返し自然と繋がり続ける生物であった。一方で精神は楽園(自然)と繋がっていた記憶や術を失い「孤独」という病を発症した。意識は孤独を埋め合わせるために承認欲求などの自我を育てた。また、自然や芸術を求める本能は、忘れかけた楽園への憧れと美によって癒やされる孤独の処方箋を知っているからだ。私が「建築家の仕事は自然と人との接点をデザインすることだ」「建築は素材で描く詩である」と言ってきた理由だ。建築には芸術に値する何かが必要だ。それが詩性であり、確かなリアリティーだ。

自然を排除し続けて
安全安心を理由に都市は自然を排除し続けてきた。道路に石が転がっていれば邪魔だし、落ち葉が舞っていればゴミだと思う。自然が不自然だと感じる環境の中に生きる人間自身が自然の動物だ。自然が無くなれば一瞬たりとも生きていけない人間は、何をどこまで許容し、何をどこまで拒否しているのだろうか。年々許容の範囲を狭め自ら住みにくい世界を作っているようにも思える。それは住宅にも侵食し、マンションやハウスメーカーが作る住宅は、内外装ともに自然の素材を使うことはない。無垢のフローリングと謳っていてもその表面はウレタン塗料でカチカチに固めてしまって、足が接するのは石油を加工したテカテカの塗膜だ。漆喰と称する塗壁も大半は石油由来の樹脂を混ぜていてビニールクロスと大差はない。

経済的な合理性や安心安全を過剰に求めるあまり自然を受け入れられず、予定調和の空間にしか住めなくなってしまった。そういう住宅は変化の乏しく、長期間の生活で自然との繋がりは薄れ、感受性は鈍り、無意識のうちに孤独感は増し、その結果、社会全体が不寛容になった。人々は自律性を失い責任感の喪失とともに至る所にクレーマーやモンスターペアレンツが出現するようになってしまった。

いままでまでとこれから
建築が今、都市生活者に豊かな生活空間を提供できる環境はほとんどない。そんな絶望的な状況の中でも私は諦めずにこの名古屋近郊で住宅を作り続けてきた。しかし、私は還暦を過ぎて建築家として少し世界が広がったような気がしている。施工をしていることで、失敗を恐れずに新しいことに挑戦してきたし、失敗の数だけ私の自信とスキルは上がった。クライアントには内緒だけれど、失敗すると何だか体の中からワクワク感が込み上げる。もちろん失敗したままクライアントに引き渡すことなんかしない。ちゃんとその失敗をリカバーして引き渡す。私はまた幼児期を繰り返しているのだと思う。忘れてしまってはいるけれど、恐らくその時も心の中は喜びでいっぱいだったのだと思う。まさかこの歳になって仕事でそんな喜びを感じられると思っていなかったけれど、人間は幾つになっても成長できるってまんざら嘘でもない気がする。

他人に評価してもらうことはてっきり忘れて自分の成長だけに集中していた私が、最近になって海外からの問い合わせや講演会、本の出版などの依頼をされるのは何だか申し訳ない気がする。これからは自分の成長を楽しみながら、残された時間の中でどれくらい人類のために貢献できるかが私の生き方だ。
(了)

☞建築家であり棟梁でもある宇野友明。彼が創る’’見たことのない普通のたてもの’’はスクラップ&ビルドな建築業界において異彩を放つ(1/2)


Profile
Name: 宇野友明 Tomoaki Uno
DOB: 1960年
POB: 愛知県
Occupation: 建築家、棟梁
http://unotomoaki.com
https://www.instagram.com/tomoaki.uno/

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