建築家であり棟梁でもある宇野友明。彼が創る’’見たことのない普通のたてもの’’はスクラップ&ビルドな建築業界において異彩を放つ
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INTERVIEWS:
宇野友明 = 建築家 / 棟梁 Tomoaki Uno = Architect / Pillar
建築を作る喜びを形にする。建築に関わる人全ての人たちの想いを形にする。それがクライアントに贈る最大のギフトという宇野友明は、建築家であり棟梁でもある。彼が創る’’見たことのない普通のたてもの’’は、スクラップ&ビルド建築業界において異彩を放つ。
意識的な仕事と感覚的な仕事
私が設計施工をはじめた動機は、工務店とは作りたい建築が違うからだ。それぞれの工務店はそれぞれの事情があり、私と志を合わせるのは難しい。その違いが建築に出てしまうことに納得がいかなかった。気づけば設計施工を始めて20年も経ってしまった。設計士の主要な仕事は図面を描くことだ。それはいわゆるマニュアル作りで、それさえあれば誰でも同じものが作れる。私はそこに違和感を持った。
幼い頃から職人の仕事を間近に見てきた私にとって設計というマニュアルを描く仕事は、同じ建築を作るという仕事でも職人とは真逆の仕事に思えた。いわゆる設計は頭脳を使った意識的な仕事で、職人は肉体を使った感覚的な仕事だ。私は現場で図面を見て誰でも同じものが作れるような仕事がしたくてこの仕事を選んだわけではなく、職人が現場で仕事をするようにライブ感のあるモノづくりがしたいということに気づいた。だから今は現場で感じたことを形にしようという思いで現場に立っている。
昔の棟梁とは違い実際に現場で作ることはしないが、職人たちと志を合わせてひとつの建築を作り上げていくやり方は同じだ。法律や社会状況が複雑になった現代では、私のやり方は棟梁の現代的なスタイルなのではないかと思う。
私の父は左官職人であり、家には住み込みの職人たちが寝泊まりしている環境で育った。私が幼い頃、父に連れられ現場に行くと父に偉そうな物言いでネクタイを締めて現場に似つかわしくない服装の輩をよく見かけた。絶対こういう人たちにはなりたくないと思っていた私は今、彼らと同輩になってしまった。しかし、その時の記憶が今の仕事に大きく影響している。幼い私にとって現場での父の手伝いは、苦痛でしか無かった。子供の出来ることはものを運ぶくらいの単純作業くらいしかない。それがバケツに入ったモルタルなどの重いものばかりだったこともあり、左官という職業が全く魅力的には思えなかった。
高校に進学してからは、父の期待に反して大学進学を目標にした。その頃の私は、職人の仕事を全く理解していなかった。ただ単純作業をコツコツとするものだと思っていた。しかし、後年は彼らがその瞬間に感覚を研ぎ澄まし、一期一会の真剣勝負をしていることを知った。それは人には伝えられない自分だけの感覚だ。彼らいつもオリジナリティーを現場で表現している職業だ。何も理解していなかった私は、大学で建築を学び建築家という職業に就いた。しかし、職人的な仕事とは程遠い設計という仕事に不自由さと違和感をずっと持ち続けていた。大学の教育ではいつも建築設計とコンセプトはセットだ。「建築は分かり易い共通の情報として表現しないと、クライアントにはその価値が伝わらず建築は作れない」そんなふうに教えられた。コンセプトに違和感を持ったまま私は建築に失望して大学を卒業した。
仕事を始めてからも「この家のコンセプトは・・・」など、嘘っぽくて出来なかった。どうしてもコンセプトと建築がつながらない。だから、今も建築をコンセプトで語ることはない。クライアントとの打ち合わせのほとんどは機能的なことと予算のこと。実際の建築は、出来てのお楽しみっていうことにしている。これまでに私が培ってきた設計のノウハウやスキル、経験が頭の中の引き出しに全部詰まっていて、それを現場ごとにアレンジして組み合わせることで、より創造的で楽しい現場になった。
「見たことのない普通のたてもの」を作るための挑戦
建築を作るということは、クライアントにとって人生の一大事だ。だから、簡単に他人に全てを任せられるわけがない。雑誌やSNSを見て「あっ、カッコイイ!」というだけで仕事に繋がるわけではない。ほとんどのクライアントは、私に連絡をくれる前にかなり時間をかけて調べて勇気を出して連絡をくれる(笑)。一見、高級住宅ばかりに見えるようだけど、クライアントはサラリーマンの方も多く、億を越えるようなものは数年に一軒くらいだ。ただ延床面積は比較的小さいので、坪単価は高くなってしまう。それが高級だと言われればそうかもしれない。
私のクライアントは職業もライフスタイルも本当にバラバラだ。色々な人が依頼してきてくれたお陰で、色々なものを作ることが出来た。だから私が何を提案するか分からないので、最近は具体的な要望も少なくなった。私が一番大切にしているのは信頼関係。もちろん実績も大切だけれど、それだけでは全面的に任せてもらうことは難しい。実際の私を人間としてどれだけ信頼してもらえるかが大きいと思う。誠実なこと。仕事に対する自信。約束を守る、などの至ってシンプルだけど、これがちゃんと実行するのはかなり難しい。でも、これを完璧に実行しなければ任せてなんかもらえない。これに集中してきた30年だったように思う。仕事の数は多くないけれど、その分ひとつひとつにじっくり時間をかけて丁寧に作ってきた。奇を衒うことなく伝統的な工法やプランを参考に永く愛される建物を作ることだけ考えてきた。それが「見たことのない普通のたてもの」のような気がする。
私が初めてホームページを作ったのは30年前だった。その頃のインターネットは何かを調べるツールだった。それがブログになり、フェイスブックが出てきてインスタグラムになった。最近ではリールやTikTokなどの動画も情報発信の重要なツールになった。時代に合わせて色々やってはきたが、あまり成果があったという実感はない。努力の甲斐なく業界のメインストリームに上がることは一度もなかった。
コンペや賞取りレースには一切参加せず、事務所と現場の往復に明け暮れる私にある日、クライアントが「宇野さんは建築家の業界にいないですよね。『宇野友明』っていう業界になっている。だから宇野さんを見つけるのは大変ですし、やっていることを理解するのも素人にはなかなか難しいです。」と忠言してくれた。情報発信もあまり実りがなかった原因がわかった気がした。
しかし、ここ数年『宇野友明』という業界は国外で知られるようになってきた。まだ、なかなか実作には至らないが、日常業務の多くは海外からの問い合わせに対応せざるを得なくなった。本音を言うと職人とともに作る私のスタイルは、あまり海外には向かないが『宇野友明』と言う業界が国内でもう少し広がる日までは、自然の流れに任せるしかないと思っている。
人間性がそのまま現れてしまう職人の仕事
私は、これまでに何人もの職人と一緒に仕事をしてきた。一昨年、石積みの家を作った。現場に置かれたたくさんの石を前にしてどうやって積むかをじっと眺めている。それはさながら将棋の棋士が何手も先を読みながら頭の中で棋譜をイメージするかのようだ。自然の素材を扱う職人にとって素材の良さを引き出すことは、彼らの最大のミッションだ。自己主張は調和を乱す最も戒めなければならない態度だ。良い職人は心底謙虚だ。職人の仕事は人間性がそのまま仕事に現れてしまうから言葉で誤魔化すことができない。私はそういう職人仕事を心から尊敬する。
もう一人私が尊敬してやまない職人に家具職人の竹村さんがいる。謙虚で誠実な仕事は職人の鏡だ。彼は金物をほとんど使わない。それは金物が消耗品だからである。自分がいなくなった後も永くメンテナンスが出来るようにとの気遣いと自信だ。謙虚で高い技術に裏打ちされた彼の家具が納まると私の建築は魔法にかけられたように輝きを増す。彼の仕事もそのまま彼自身が現れている。職人というのは本当に恐ろしい職業だ。彼と仕事をしているとつくづくこの人と同じ職業を選ばなくて良かったなと思う。私には到底真似できない。
(続く)
☞家族や自然を愛するように建築を愛し、関わる人、使う素材すべてに喜びを伝播させる事。美しい空間を生み出す方法は、それ以外にない。(2/2)
Profile
Name: 宇野友明 Tomoaki Uno
DOB: 1960年
POB: 愛知県
Occupation: 建築家、棟梁
http://unotomoaki.com
https://www.instagram.com/tomoaki.uno/
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