食うために生きるのか、生きるために食うのか。三國清三が語る’食’の真実(2/3)
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INTERVIEWS:
三國清三 / オーナーシェフ
ヨーロッパの習慣は、家具を買っても、それをきっちり大事に使って三代もたせようとします。そこには最初に作るときの頑丈さであったり、地元の特徴であったり、そういったものを守るという精神が加味されています。日本は戦後、時代と共に「新しいもの、新しいもの、新しいもの、早く、早く、早く。」ということを求めていくわけです。ヨーロッパでは、元々のスタンスが絶対に揺るがない。
結局、人の心、気持ちの場所は明確にないわけです。じゃあどうやって人は心、気持ちを持つのかというと、五感という感性によってとらえるわけです。五感によって相手のこと、自分のことをとらえて、そこで初めて心、気持ちが開くわけです。
80年代に入るとイタリアではスローフード、フランスでは三つ星シェフ達が、子供の味覚を保護する運動を始めます。シェフ達が、小学校に出向いて「甘い」「酸っぱい」「しょっぱい」「苦い」の四味を教えるわけです。その運動のきっかけを作ったのはジャック・ピュイゼさんという理学博士です。彼は、12歳までに正しい味覚(四味)を体験させないと、その子が成人になって自分の子供を産んだ時に、簡単に自分の子供を傷つける可能性があり、あるいは、正しい味覚を経験させられていない子たちは、親や近所の人から注意をされた時やカチンと来た時に、親や周りの人を傷つけてしまう、その要因になってしまうのだそうです。味覚が心、気持ちに凄く影響を及ぼすということを発表したわけです。
***スローフード
1986年にイタリアのカルロ・ペトリーニによって提唱された国際的な社会運動。ファストフードに対して唱えられた考え方で、その土地の伝統的な食文化や食材を見直す運動。
1999年にヨーロッパから呼びかけられて三國も日本で始めるべきだと。そして2000年から食育として味覚授業を、北海道を皮切りに全国の小学校に行って「うま味」を加えた五味を教え、子供達の味覚を保護すると同時に、子供達の心気持ちを豊かにしていく活動を始めました。子供たちが8歳になる頃から味蕾(みらい)という味覚を吸収する蕾が増えていきます。人によって差はありますけど、12歳で大体1万二千個くらいになるといわれてます。それからは徐々に味蕾の数が減って鈍感になっていくわけです。
なぜ12歳でピークになるかということですが、我々の小脳は8歳、大脳は12歳までに出来上がるといわれています。ちょうどその年齢で歯も生え替わりますし、神様は我々が12歳になる頃に大人のメカニズムに変えるわけです。ただその時に、小脳大脳が大人になっても、何かきっかけを作ってあげないと機能しないわけです。車で言えばエンジンをかけるキーを回す行為がないと機能しないわけです。「甘い」「酸っぱい」「しょっぱい」「苦い」「うま味」という五味が味蕾から伝わり脳を刺激するキーになる。ですから12歳までに五味を脳の刺激として摂ることが必要だということです。
***味蕾(みらい)
味蕾は、舌や軟口蓋にある食べ物の味を感じる小さな器官である。
脳が始動することで子供達に何が起こるか?それは「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触る」「味わう」という五感がパッと開くわけです。逆説的にいうと味覚の体験をさせないと五感が開かないわけです。五感が開くということは、「見る=観察力が出る」「聞く=色んな音や音感を敏感に感じとる」「匂い=危険を察知、美味しい匂いを感じる力」「触る=絵を描いたりピアノ弾いたりする」「味わう=味覚です」。よく子供達の授業で「君たちの心、気持ちの場所を教えて?」と聞くと、みんな「えっ!」となりながらも心臓や肺とか脳って答えるわけです。結局、人の心気持ちの場所は明確にないわけです。じゃあどうやって人は心、気持ちを持つのかというと、五感という感性によってとらえるわけです。五感によって相手のこと、自分のことをとらえて、そこで初めて心気持ちが開くわけです。
五味は自然のものにしかありません。ですから我々が自然以外のものを食べると、危険なので味蕾の蕾がポッと閉じてしまう。自然でないものは、確かにお腹はいっぱいになりますが、そのまま排出してしまいます。自然のものだけが味蕾がポッと開かせるエンジンとなるわけです。そのまま心気持ちが閉じているから、簡単に我が子を傷つけてしまう課の多いようになる。「あ!そうなんだ」と、味覚と脳のそういう仕組みを理解して、出来るだけ自然のもの摂ることです。
特に20 – 30代の親は、コンビニ世代ですから、それが悪いとは思っていないし、美味しいと感じている人も少なくない。逆に自然のものを食べると、自然は薄味ですから「不味い!」と言ってしまう。だからメカニズムを理解させないことには、自分たちが好きなものになってしまう。ですから今起きているイジメの問題、親の問題、全部ここが根本の原因だと僕は思っています。みなさん環境を変える!と言いますが、子供達が大人になる頃の心気持ちを豊かにしていかない限り、どんな環境を作ったとしても、内面のメカニズムを改めない限り変わらない。そういう家庭でお母さんの料理をいつも食べている子は、イライラしないし、優しい想いを持っているのではないでしょうか。
ヨーロッパの習慣は、家族で一つ家具を買っても、それをきっちり大事に使って三代もたせようとします。そこには最初に作るときの頑丈さであったり、地元の特徴であったり、そういったものを守るという精神が加味されています。
僕は学校給食に「小学生の間にちゃんと良いものを食べさせなきゃ駄目です」とよく言っています。しかし日本の社会では「小学生でそんなものは贅沢だ!」みたいに言うわけです。小学生は、親から与えられたものしか食べられません。今、小学校の学校給食の平均月額が4300円ぐらいですが、それを三倍にも五倍にもすべきです。中学校へ行けば放っておいても、自分たちの好きなものを食べます、制したって無理です。それが我々日本の社会の現状です。
(編集部註:文部科学省、平成30年度学校給食調査によると公立小学校の学校給食費の平均月額は4343円(年間191回)であり、1食あたりは約273円)
ヨーロッパは真逆です。特にイタリアでは、高級店に行っても子供の入店が出来ます。「バンビーノ!バンビーノ!」と言って、お客様も、お店側も子供を優先するわけです。アメリカにしても多くがヨーロッパからの移民で、母体はヨーロッパにあります。ヨーロッパの習慣は、家族で一つ家具を買っても、それをきっちり大事に使って三代もたせようとします。そこには最初に作るときの頑丈さであったり、地元の特徴であったり、そういったものを守るという精神が加味されています。イタリアでは「マンマ・ミーア!」と言ってお袋の味を凄く大切にしますし、フランスではもう食うために生きるのか、生きるために食うのかというほど美食の国です。ですから元々ものに対してのアプローチの仕方が全く違います。日本は戦後、時代と共に「新しいもの、新しいもの、新しいもの、早く、早く、早く。」ということを求めていくわけです。しかしヨーロッパでは、元々のスタンスが絶対に揺るぎない。
戦前の日本の多くの家庭では、お父さん、お母さんがいて、お祖父ちゃん、お婆ちゃんと一緒に暮らしていた。ちゃぶ台で食を囲むそういった生活の中で、個々に受け継がれた味というものが守られていました。それが戦後になると凄い勢いで海外のものが押し寄せて来ます。食の洋風化です。三世代に渡って食が変わってきていますから、今の子供達は、ようやく受け入れるようになりつつある代償として、アレルギー、花粉症、肥満だとか成人病が増えてきました。それ以前は今より少ないことは間違いありません。
例えば1905年に塩が専売制になり、1997年に廃止されますが、それまでの92年間、日本中にあった天然塩を法律で作ってはならぬとしたわけです。(編集部註:1942年から数年間自家用の塩の製塩が認められている)塩作りの最終過程で、水分をぎゅっと絞るとポタンと滴るものを母液といいます。にがりのことですが、そこにミネラル(マグネシウム)が豊富に含まれています。そのミネラルこそ我々の体内の細胞、特に乳酸菌を活性化する役割を成しています。それがパッケージの表示に「イオン膜」と記載されている精製塩になりますと天然のミネラルというものが全くゼロですから、乳酸菌の働きを止めてしまい我々の体内は著しく弱くなるわけです。これも一つの理由です。
僕は北海道増毛生まれ。親父は漁師で、お袋は農家をやっていて、田舎育ちで自然の中で育ちました。札幌に出て、東京に三年くらい、後はもうヨーロッパに行ってしまった。ヨーロッパの生活と増毛の環境は決定的に似ていました。田舎では、自分が選ぶというよりも食べるもの全てが自然にあるわけです。トウキビだとか、芋だとか、ただ茹でるだけです。お袋も味付けをすることは一切しませんでしたから、田舎では求めなくてもそこにあるものが全部ナチュラルです。都心では自発的にそういうものを子供に与えないと、やはり正しい味覚や味は失われていきます。これからです。日本もこれだけ豊かになった今、我々はこれからどうするのか?ということが問われているわけです。
僕はね、ファストフードなんかも食べるしカップラーメンも食べます。マクドナルドへ行くと必ずハンバーガーとポテトフライ、それとやっぱりマックはコカ・コーラです(笑)。
僕はお店に若い子に来て欲しい。そこは我々の大きな課題として存在しています。いつも接客ミーティングで話をします「いいかお前ら、お客様の方が緊張していらっしゃるんだぞ!気取るんじゃねーぞ!」と言っても、やっぱりなかなかカチッとしてしまう。一度若いお客様から怒鳴り声で電話がかかってきました「初デートで、よく恥をかかせてくれたな。日本語も書いてないワインリストを彼女の前で見せてどれにするって、分かるわけねーだろ!」やっぱりそこからだと思うわけです。やはり有名店になったりだとか、お店側もどうしても勘違いをするわけです。
僕は、ファストフードなんかも食べるしカップラーメンも食べます。マクドナルドへ行くと必ずハンバーガーとポテトフライ、それとやっぱりマックはコカ・コーラです(笑)。我々食のプロは出来るだけ全て、吉兆さんの御料理も食べますし、マックにも行く、みんなが美味しいと思っているもの、特に流行っているもの、それは絶対食べるべきだと考えています。僕は、本当によく誤解されます。僕に会ったことがない人は「あいつは生意気で、ものぶつけんだぜ!?」「えーそんな人に会いたくない!」とか言われます。でも一度会ってみると本当に皆さんから好かれます(笑)。ですから「人は会ってみろ、ものは食ってみろ」というわけです(笑)。人のことを会わずして批判したりだとか、食べずしてこれが良いだとか、これが悪いだとか、絶対批判してはいけないと思うわけです。僕はそういう主義です。
ミクニ的であれば絶対に成功する。オーナー・三國清三が考えるエスプリ(3/3)☞ 続く
こんなデタラメなフランス料理はない。批判こそ評価。三國清三が世界で評価される理由(1/3)☞戻る
1954年北海道増毛町生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテルにて修業を始める。その後、帝国ホテルに移り、修業を続ける。1974年、現代フランス料理界天才料理人フレディ・ジラ ルデ氏に師事。その後、トロワグロ、オーベルジュ・ドゥ・リィル、ロアジス、アラン・シャペル等の三ツ星レストランにて修業を重ねる。1985年、ビストロ・サカナザのシェフを経て、東京・四ッ谷に“オテル・ドゥ・ミクニ”を開店。日本フランス料理技術組合代表。仏トゥール大学美食学名誉博士。北海道食大使、北海道白老アイヌ食文化大使。フランス農事功労章オフィシェ章受章。
Profile
Name: 三國清三
DOB: 1954/8/10
POB: 北海道増毛、日本
Occupation: オーナーシェフ
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