こんなデタラメなフランス料理はない。批判こそ評価。三國清三が世界で評価される理由(1/3)
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INTERVIEWS:
三國清三 / オーナーシェフ
味噌、米、醤油があれば、中国料理や日本の天麩羅の要素もある、こんなデタラメなフランス料理はないと良く批判されました。山本益博さんが面白いコメントを出していました「三國は、すべての序列を破壊した」と。僕はね、上手い表現だなぁと思うわけです(笑)
ヌーベル・キュイジーヌを作ってきた彼らのレストランが今でも反映しているのは、クラシックを代々続けたその上に、日本の新しい感覚を取り入れたからです。古典というベースがきちっとあった上で、“ジャポニゼ”(革新性)を表現した彼らは生き残りました。
1950年代後半から60年代にかけて、ヌーヴェルバーグというフランス映画全体に新しい表現の潮流が現れます。同じように料理界では、60年から70年代にヌーベルキュイジーヌという新しい料理のスタイルが誕生していきます。そのスタイルに影響を及ぼしたフランスのシェフたちのなかで、ピエール・トロワグロさんは1966年『銀座マキシム・ド・パリ』の初代料理長に就任します。また、ポール・ボキューズさんが1972年『銀座レンガ屋』の顧問になって、その時に、彼らは日本の様式や懐石に出会うことで、野菜や素材のシャキシャキ感や色の鮮やかさ、一人一人小皿に盛るとか、四季を取り入れることを学ぶわけです。彼らが日本の懐石をモチーフしてフランスに持ち帰るわけですが、ちょうどヌーベル・キュイジーヌの時代と一致するわけです。
ポール・ボキューズさんは、毎朝マルシェへ行って新鮮なものを買ってそれを懐石のように表現していく。トロワグロさんは、お醤油やお味噌、お刺身だとかそういうテクスチャーを持ち込んで表現していく。そしてフランスではもう一人ミシェル・ゲラールさんは、キュイジーヌ・マンスールという脂肪分を抑えた健康に良いフランス料理を作るということで、自然豊かなガスコーニュ地方に渡るわけです。それらがヌーベル・キュイジーヌの先駆だと僕は思っています。最終的に80年代にジョエル・ロブションさんが現れて、日本の精進料理に魅せられ、精神的なものをフランス料理に取り上げる。そして彼の料理が完成形として決定的になっていくわけです。
***銀座レンガ屋
1970年代の日本を代表するフランス料理店。フランス『ラセール』で修業を積んだ、有楽町『アピシウス』初代料理長の高橋徳男が頭角を表したお店でもある。オーナーである稲川慶子氏は、ポール・ボキューズ氏を顧問に招くほどの傑女であった。
***銀座マキシム・ド・パリ
1966年に東京・銀座に開店。「大人の社交場を作りたい」という、ソニー副社長(当時)の盛田昭夫氏の熱意から、アールヌーヴォーの内装や調度品などパリの本店と同じ設えであることにこだわった。「本物の食文化をもっと日本に」をコンセプトに、かつてない本格派フランス料理を提供し、人々を魅了した。
僕がヨーロッパに渡った1974年、パリには『ラセール』だとか『マキシム・ド・パリ』だとか古典のフランス料理店というものがありました。ヌーベル・キュイジーヌがこれから主体になっていくのか、クラシックが残るのかという狭間に突入していました。その分岐点に現れたのが、キュイジーヌ・モーツァルトと呼ばれるフレディ・ジラルデさんです。当時20歳の僕は、彼の元で修業を積むわけですが、彼は『スポンタネ』といいまして、何もないところから有を生むという意味ですが、そういった全く新しい料理を作り始めるわけです。モーツァルトが曲を創りだす瞬間に立ち会えるわけですから、それはそれは凄いことです。
その時に僕が学んだこのひとつですが、彼らは四角四面に素材を切ったりはしないということです。彼ら凄く無造作に食材を扱います。わかりやすく表現すると、ヨーロッパの石畳は遠くから見ると凄く雰囲気が柔らかくて良い。しかし日本のお城を見るとカッチリと見えます。それは大きさや、そういった素材が貼り付けられていて、見え方が本当に四角四面に見えるわけです。ですから自然界のものは、田園風景にしても何にしても非常に無造作ですが、全体として凄く気持ちを捉え、素晴らしく見えるわけです。最初は驚きましたけれど、そんなことにも気がつくわけです。非常にエポックでした。
ヌーベル・キュイジーヌを作ってきた彼らのレストランが今でも反映しているのは、クラシックを代々続けたその上に、日本の新しい感覚を取り入れたからです。古典というベースがきちっとあった上で、革新性を表現した彼らは生き残りました。彼らのコピーをした人達はもうほとんど影もないです。そうやって時代に合わせる事が出来るお店しか残ってはいけないわけです。恐らく音楽でもファッションでも同じだと思います。例えばシャネルにしても、やはりそういった伝統的なものを引き継いで、その度にデザイナーを変えて、時代に合わせて、しかし脈々とシャネルはシャネルなわけです、それと全く一緒だと思います。
35年間毎月メニューを変えること、それは僕の戦いです。出来なければ、料理づくりを辞める。そこにしか僕の存在理由はないわけです。その結果、ミシュランに星がつかないお店になっていますけどね。それも名誉なことだなと思っていますけど。ミシュランごときに星つけられても困るしね(笑)。
なぜミシュラン三つ星が特別かと言われると、絶対にコピーをしてはいけないからです。あの当時フランスには十八件ミシュランの三つ星がありましたけども、コピーしたら絶対三つ星は与えられません。全く違う個性、全く違うことが評価されるわけです。僕が働いた六軒も全く別もので、どことして同じものはない。全く類似しないものを作れた人にだけ三つ星が与えられるわけです。全く違う想像力を持つこと、その表現ができることが個性です。僕は日本人なので、海外から見れば日本のものを取り入れることは誰にも真似出来ないわけです。例えばアメリカではニューヨークのジャン・ジョルジュも、ナパ・バレーのトーマス・ケラーも誰一人として真似は出来ない。そこのオリジナルの世界にあっと驚くわけです。
僕は85年にお店をオープンしてから、常に全てを変えてしまう。ですから日本の料理評論家、お客様は僕のことを理解出来ないでいると思います。それは世界に類似のないものですから、最も理解し難い料理なわけです。そこに“ジャポニゼ”といって日本の感覚をグワッと入れますから、それはもう何がなんだかわからないということです。味噌、米、醤油があれば、中国料理や日本の天麩羅の要素もある、こんなデタラメなフランス料理はないと良く批判されました。山本益博さんが面白いコメントを出していました「三國は、すべての序列を破壊した」と。僕はね、上手い表現だなぁと思うわけです(笑)。
批判されても楽しかった。なぜなら僕は二十歳からヨーロッパで育っていますから、ヨーロッパでは、評価されることが評価ではない、批判されることが評価です。批判するということは、お互い認め合うということで、そこから全ての進歩が生まれるわけです。日本では中身がなく心の伴わない同調、いわゆる誉め殺しといって「いいですねー、いいですねー」と言って殺すわけです。価値があるものは絶対に批判されますから、耐えていくわけです。日本は保守的な習慣です。三國さんの評価はゼロに等しい(笑)。ですから35年間毎月メニューを変えること、それは僕の戦いです。出来なければ、料理づくりを辞める。そこにしか僕の存在理由はないわけです。その結果、ミシュランでは星がつかないお店になっていますけどね(笑)。それも名誉なことだなと思っています。ミシュランごときに星つけられても困るしね(汗)。
食うために生きるのか、生きるために食うのか。三國清三が語る’食’の真実(2/3)☞ 続く
1954年北海道増毛町生まれ。15歳で料理人を志し、札幌グランドホテルにて修業を始める。その後、帝国ホテルに移り、修業を続ける。1974年、現代フランス料理界天才料理人フレディ・ジラ ルデ氏に師事。その後、トロワグロ、オーベルジュ・ドゥ・リィル、ロアジス、アラン・シャペル等の三ツ星レストランにて修業を重ねる。1985年、ビストロ・サカナザのシェフを経て、東京・四ッ谷に“オテル・ドゥ・ミクニ”を開店。日本フランス料理技術組合代表。仏トゥール大学美食学名誉博士。北海道食大使、北海道白老アイヌ食文化大使。フランス農事功労章オフィシェ章受章。
Profile
Name: 三國清三
DOB: 1954/8/10
POB: 北海道増毛、日本
Occupation: オーナーシェフ
オテル・ドゥ・ミクニ公式ホームページ
オテル・ドゥ・ミクニInstagram
オテル・ドゥ・ミクニYoutube
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