限りなくメディア露出が少なく不偏不党なそのスタイルを貫くELT design倉田穀一郎のモノの見方。

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INTERVIEWS:
倉田穀一郎/デザイナー/UNRIVALED/LET IT RIDE


僕は洋服でもなんでもそうなんですけど、ロカビリーだとか、50’sという様なジャンルで分ける事がないんです。チェットベーカーも、トムウェイツも、ジャンゴも好きだし、日本の音楽も好きだしね。

僕の青春時代は、80年代の前半から中盤くらいで、モッズが東京でもメジャーになりだした頃でした。ストレイキャッツもオンタイムで好きでしたけど、洋服が好きな人はあまりそういうのは聞いてなかった気がします。だから一人で黙々と聴いてました。(笑聲)レコードジャケットのビジュアル見てレコードを買いに行きましたね、あの頃はレコードを予約するってのが普通だったんです。僕は洋服でもなんでもそうなんですけど、ロカビリーだとか、50’sという様なジャンルで分ける事がないんです。チェット・ベーカーも、トム・ウェイツも、*ジャンゴも好きだし、日本の音楽も好きだしね。

好きなものがあまりにも多すぎるんで、一つにはまれなという感覚でしょうか。ドップリはまる必要性を感じなくて好きか嫌いかの二択でいいのかなって、昔からその感覚があったんです。

僕は80年代にヨーロッパの影響を強く受けました、90年代になってアメリカのカルチャーに傾倒していくんです。だからゼロからのアメリカじゃなくて、80年代のヨーロッパを通ってきてるのでどストレートなアメカジじゃなかった。周りに洋服好きが多かったせいか、好きな子に教えてもらったりして買いに行ってました。高校の頃はヨーロッパ系、アルマーニのジーンズとかフランスのマリテ+フランソワ・ジルボーとかですか。だから*クリームソーダとか50’s系も好きだったけどドップリはいかなかったんです。

好きなものがあまりにも多すぎるんで、一つにはまれなという感覚でしょうか。ドップリはまる必要性を感じなくて好きか嫌いかの二択でいいのかなって、昔からその感覚があったんです。このRolandRE-201も本当はフェンダーベースマンと合わせなきゃいけない。これだけ持っていてもなんの意味もないんです。(笑聲)このフェイスがカッコイイっていうね、理屈じゃないんです。

メンズの場合、自分が着る事を考えてしまうと「こんな服着ねぇーなー」とか思うとそこでストップがかかってしまう。極端に言えばボレロのこんな短い丈も出来る、メンズだと短ランになっちゃうけどレディースなら出来る。

昔から漠然と自分が着る服を作りたかった。ただ僕が学んだ*文化服装学院は、レディースだったんです(笑聲)レディースのデザインをずっとやってましたから、そこから少し考え方が変わりました。メンズの場合、自分が着る事を考えてしまうと「こんな服着ねぇーなー」とか思うとそこでストップがかかってしまう。例えばレディースであればシャツにしても、ブラウスっていう括りで色んなことが出来る。メンズライクなプレーンなものもあれば、女の子っぽいのもあり、色んなパターンが作れるわけです。極端に言えばボレロのこんな短い丈も出来る、メンズだと短ランになっちゃうけどレディースなら出来る。その点レディースは面白いと思うんです。だから僕の作る洋服は、もろ無骨ではなくて中性的なんだと思っています。

その頃、印象深いのは『Stop Making Sense』。ジョナサン・デミ監督によるトーキング・ヘッズのドキュメンタリー映画。

東京に来た頃は、新宿にツバキハウスがあった時代で、文化の学生は学生証見せれば無料なんです。あの頃のディスコは、バイキング形式でご飯が食べれるんです。だから良く晩飯食いに行ってましたね。(笑聲)その頃、印象深いのは『Stop Making Sense』。ジョナサン・デミ監督によるトーキング・ヘッズのドキュメンタリー映画。告知ポスターが凄くカッコ良くて衝撃だったんです。当時はレイトショーでしかやってなかったんですけど、それは好きで今でも見返しますね。それとジム・ジャームッシュが出てきた頃なんで、『ストレンジャーザンパラダイス』とか『ダンバイロー』とかオンタイムでしたね。

でも僕はコレクションに関してはあまり興味がないんですね。僕は世界観の物づくりはしないです、だからコレクションもやりません、実用的なところに拘りがあるんです。

卒業してからパターンのバイトをして、*コシノミチコさんとこに入って企画をやりました。本格的なファッションショーをやっていましたから、とても勉強になりました。でも僕はコレクションに関してはあまり興味がないんですね。ショーはどちらかというと見せるものが中心なんで、製品化しない作品もたくさんあるんです。ショーから落とし込んでいくので、実質無理なデザインや、全く洗濯できなかったりとアート作品なんです。僕は世界観の物づくりはしないです、だからコレクションもやりません、実用的なところに拘りがあるんです。あの頃は、母体が堅い会社でしたから、どうしても本来の洋服作りとは違う方向に行ってしまう。だからずっとそれに逆行していましたね。

割と秘密主義で何の告知もしないんです。移転することも告知しないし、オープンの日も告知しないし、電話番号も告知しないから割と口コミで人が集まってくる。

僕がまだMIWを手伝っていた頃、佐渡村からEM(エム)でオリジナル作るからって誘われたんです、それがLET IT RIDEです。もともとは佐渡村が文化の同級生で良く遊んでたんです、あいつはビームスに入って、アローズに移って、ロンディスに入ったんです。ELTは、Every Little Thingの略、お店が出来る時に*ヒロシ君がつけてくれました。その後、ELTは並木橋から渋谷女子高の向かい側に移りました。うちってその頃、割と秘密主義で何の告知もしないんです。移転することも告知しないし、オープンの日も告知しないし、電話番号も告知しないから割と口コミで人が集まってくる。今はインターネットで調べて動くような情報過多時代ですから、そこまで掘り下げる人たちがいるかっていうと難しい。コアな人たちはいるんですけど、それで成り立つかっていうと商売的には厳しい。昔は細分化がなかったから、みんなこっち向けばこっちみたいなのがありましたから、ある意味シンプルでもありました。あの時代だから受けたって気がしますけどね。まあ昔の話です(笑聲)

90年代の洋服ってなんでしょうかね?僕はよく分からない。ケニースチュアートっていう猫のキャラクターはいるんですけど、特別アイコニックなものを作ってきてないですしね。その猫はシンちゃんが描いたんですけど、あれ自体商品化はそんなにしてはいないんです。ケニースチュアートっていう下手なロカビリーコピーバンドをやってたんですELTのメンバーで。ELTに置いてある楽器で地方とかでライブをやったりしてたんです。(笑聲)恥ずかしいんですけど、その時に初めてやったんですよ。(笑聲)千寿君がボーカルで、佐渡村がギターで、僕がドラムで、トオル君がベースやってた。

後々ブランドになってましたけど、その頃はその空間の事electric cotageって言ってたんです。入り口を入った横のラスメイヤーのボスター、白い漆喰の壁にマルコムマクラーレンのサインが書かれていたのを覚えてます。

95年頃には、Sleep walkという東京限定のLET IT RIDEを立ち上げました。ブランド名は、サントアンドジョニーがオリジナルのブライアンがカバーしてた曲名からとったんです。1階でSleep walk、2階はWhite Filedっていうレディースブランドを僕がやってたんです。その建物はもともと1階がnowhereの事務所、2階にヒロシ君の事務所があったんですけど、うちが1階と2階を借りて入ったんです。後々ブランドになってましたけど、その頃はその空間の事electric cotageって言ってたんです。入り口を入った横のラス・メイヤーのボスター、白い漆喰の壁にマルコム・マクラーレンのサインが書かれていたのを覚えてます。今はもう建物自体がないですけどね。

僕は製品化する為にたくさん作って、一部だけ売れて、あとは捨てれば良いって考え方があまり好きじゃない。需要と供給のバランスが大事で、ロットの為に洋服をたくさん作るっていうのが嫌なんです。

UNRIVALEDは、2003年スタートです。UNRIVALEDって言葉自体には強いイメージがありますよね、でも僕は何かと比べる事がないという’無比’という意味でつけたんです。ちょうど色んなブランドが出てきた時期でしたから、自分の中で線を引きたかったのかもしれないですね。僕は製品化する為にたくさん作って、一部だけ売れて、あとは捨てれば良いって考え方があまり好きじゃない。需要と供給のバランスが大事で、ロットの為に洋服をたくさん作るっていうのが嫌なんです。特にTシャツとか僕らの作り方って、オーダーとかとらないんです。最初にこっちで枚数を決めて作っちゃって、「この枚数でどうですか?」っていう提案をしてたんです。多分、ちょっと臍曲がりなんですよね。(笑聲)

メッセージは常に持っているんだけど、それは表に出す必要がないと思うんです。割と解りやすいモノはカッコ悪いと思うからです。

メッセージは常に持っているんだけど、それは表に出す必要がないと思うんです。割と解りやすいモノはカッコ悪いと思うからです。それは自分が思っていれば良くて、説明する必要がないんじゃないかと思うんです。どうしても宣伝っぽく見えてしまうし、商売っぽく見えてしまいますよね。だから僕は、割とチラ見せが好きなんです。ちょっとひねくれてるんですよね、性格が(笑聲)

アイディアは貯めるけど、デザインは貯めない。デザインは、その時その時が旬なんです。

アイディアは貯めるけど、デザインは貯めない。デザインは、その時その時が旬なんです。起こす時には、その時の感覚で起こしますね。僕が作った過去の服を着る時は古着感覚で着ます。過去のディティールを今の自分に如何に落とし込むかの作業なんです。やっぱりその雰囲気があるんです、90年代に作った物は90年代の雰囲気がある。だからそのままじゃダメだと思うんです、90年代そのままじゃ。何かしら今を取り入れるサンプリング感覚が必要なんです。

センスっていう概念が割とあやふやだと考えていて、見る立ち位置によってセンスって変わると思うんです。例えば僕のセンスを格好良いと思う人と、格好悪いと思う人がいるわけで、そういった場合にどう捉えるかです。

UNRIVALEDで初めて作ったのは、中綿入りのリバーシブルのナイロンジャケットでした。フードをデタッチャブル(着脱式)にしたりとかですね、2way、3wayが多くて、そういう服が好きなのかもしれない。細かいディティールは意識するんですけど、普通が嫌なんです。センスっていう概念が割とあやふやだと考えていて、見る立ち位置によってセンスって変わると思うんです。例えば僕のセンスを格好良いと思う人と、格好悪いと思う人がいるわけで、そういった場合にどう捉えるかです。一般的には、万人がこの人カッコイイとか、この人センスがあるっていうのはあるんでしょうけど、僕の場合、そこには行き着かない。でもやっぱり洋服は人に着てもらわないと始まらない、評価するのはお客さんなんです。買って頂いたお客さんに良い判断をしてもらえたら嬉しいですよね。

ブレる感覚っていうのは大事な感覚だと僕は思うんです。納得いかないが故に、ずっとこの仕事を続けられてるんだと思います。

毎シーズン全く一緒のものは出したくないんです。本当は毎回満足しなきゃいけないと思うんですけど、毎回細かなアップデートを繰り返しています。作ってる段階ではそれで良かったのに、時間が経つと「こうしとけば良かった!」そういうブレがどうしても出てくるんです。言ってる事とやってることが違うのはダメだと思うんですけど、芯さえ変わらなければ考え方って変わるのが当然だと思うんです。ブレる感覚っていうのは大事な感覚だと僕は思うんです。納得いかないが故に、ずっとこの仕事を続けられてるんだと思います。

何かを生み出すことと、経営っていうのは一緒の様でいて、真逆の事だと思うんです。僕は経営者向きじゃないんです、ただ洋服を作ってるだけなんです。

僕は90年代にあまりにも考えなかったんです(笑聲)良く言えば純粋なクリエイティブが出来ていたという事なんでしょうけど、遊びの延長でやってた様なものでした。ただ危機感はずっとありました、あのままいかないってのは解ってましたから。だから常に考えるんですけど、クリエイティブとビジネスのバランスは凄く難しい。今は一人ですからやるしかない、本当の意味でいうと別々の方が絶対良いんです。何かを生み出すことと、経営っていうのは一緒の様でいて、真逆の事だと思うんです。僕は経営者向きじゃないんです、ただ洋服を作ってるだけなんです。

*裏原:
裏原宿、通称裏原。東京都渋谷区神宮前から同区千駄ヶ谷までの、「原宿通り」や「渋谷川遊歩道(通称:キャットストリート)」を指す。通称は、裏原・ウラハラ。「GOODEOUGH」の藤原ヒロシ、「A BATHING APE」のNIGO、「UNDERCOVER」の高橋盾がオープンした「NOWHERE」が有名。

*TSUBAKIHOUSE:
80年代にあったDISCO NIGHT CLUB。LONDON NIGHT、ROCKABILLY NITEを始め、ドープなDJ陣により今では考えられない程ハイセンスな音楽が流れていた。菊池武夫、三宅一生、大川ひとみ、坂本龍一、森山達也、町田康、甲本ヒロトを始め、各界から感度の高い人達が集まった。Keith Haringのライブペインティングや、ストレイキャッツの初来日がツバキハウスで行われたのも有名な話。

*MIW:
メイド・イン・ワールド、渋谷、原宿にあったセレクトショップ。「GOODEOUGH」、「SOPH」、「UNIFORM EXPERIENCE」、「GDC」、「COREFIGHTER」、「COOTIE」などのアパレルブランドを取り扱った。

*EM(エム):
並木橋の二階にあったセレクトショップ。日本にラルフローレンやギャップがない時代、アメリカや欧州からのインポート物を中心に扱った。

*ELT:
1993年に渋谷にオープン。同時にオリジナルブランド「LET IT RIDE」を開始。10代の村上淳(俳優)がスタッフとして働いていた事は有名で、東京のストリートシーンを支えた。

*佐渡村健:
1966年生まれ福岡県出身。文化服装学院卒業後、BEAMSに入社、その後UNITED ARROWS、ロンディスを経てEMへ。その後EMがなくなり、セレクトSHOP”ELT”をOPEN、オリジナルブランド”LET IT RIDE”をスタートさせた。

*藤原ヒロシ:
80年代よりDJを始め、高木完とともにTINNIE PUNXを結成。音楽プロデューサー、作曲家として、UA、小泉今日子、藤井フミヤなどに楽曲提供。リーバイス、ナイキとのコラボレーションを展開する。

*sk8thing:
様々なストリートブランドのグラフィックを手掛ける。2012年より「C.E.」をスタート。東京のストリートカルチャーを影で支える最重要人物。

*千寿公久:
90年代後半に「SWIPE ON THE QUITE」「NEXD」を手掛ける。2012年からは「RISEY」を立ち上げ今に至る。


裏原という言葉が存在する前から、不偏不党なそのスタイルで東京のストリートを牽引した伝説のショップELT。オリジナルブランドLET IT RIDEそしてUNRIVALEDは、〈goodenough〉〈porter〉〈shantii〉〈tricker’s〉〈visvim〉などと秀でたコラボレーションを展開。 限りなくメディア露出が少なく、現在に至るまで冬夏青青たる態度で洋服を作り続けている。機徴に触れるモノに囲まれたアトリエで創り出される洋服たちは、僕たちに「初期衝動」を思い出させてくれる。理屈では語れない時代を切り取る感覚、それがELT design倉田穀一郎のセンス。

Name: 倉田穀一郎 / UNRIVALED / LET IT RIDE
DOB: 1967
POB: 熊本
Occupation: デザイナー
http://www.unrivaled67.com/
https://www.instagram.com/unrivaled_official_account/
https://www.instagram.com/letitride_official/

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