形をなぞるのは勿体無い。民謡もマージー・ビートもカンツォーネもブルースも熱度があれば一緒くた。(2/2)

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INTERVIEWS:
内田勘太郎 / ギタープレイヤー

内田勘太郎の音楽はプリミティブで、メロディックで、心躍るグルーヴがあり、どこか懐かしい。「魂」のある音楽はいつだって、原点を思い出させてくれる。どこかの誰かさんが作ったジャンルという型には嵌まらない。只々、熱度を感じる音楽を求める、氏の奥深い音楽遍歴の一片を語ってもらった。

他人の音楽は
真似できない

俺さ、「シカゴ・ブルース」っていうのは1950年代のマディー・ウォーターズ・バンドで最高の時を迎えて、もう終わっていると思ってるの。そいで「アーバン・ブルース」ってのもあって、それはゴスペルの影響下にある。でも俺、神があってそれに酔いしれて恍惚となってというような音楽、ゴスペルっていうもの自体があまり好きじゃないんだ。

俺はそんな音楽を鑑賞するような気はなかったから、シカゴには行きたくもなかった。でも事務所の連中が「なんかシカゴのブルースフェスに出られますよ、行きましょう!」って、でも俺その時もうボサノバとかばかり聴いていたし「俺、行かないよ」って言ったの。そしたら俺が大喜びすると思ってた事務所の連中はびっくりしてさ、なんか黒田征太郎さんとか、*景山民夫さんとかが来て、一緒に飲んで「いや、行くべきだよ!」とかって言われて、説得でもないんだけどね。「そうですか、まあ、じゃあちょっと経験で行ってみましょうか」って行くことになったんだ。だけどブルース・クラブとか何箇所か行ってみたら「あっ! やっぱり、この人たちと同じことをやってもダメだ」っていうことが歴然とした。ダメだってことはもう分かってたんだけど、それがもう凄くはっきりした。それだけでも行って良かったと思ってる。

要するにブルースは、アメリカの大衆音楽なんだ。10万人以上が集まる巨大なフェスティバルで、もちろん白人もいっぱいいるし、黒人のおばちゃんたちがイェーって踊ってる。*バディ・ガイとか*オーティス・ラッシュも日本で見る姿では全くない。やっぱり本気度が違う。まあ日本の客も良くないかもしれない。バディ・ガイがなんかちょっとこうジミ・ヘンドリックスみたいなことやったりすると、日本の観客は優しいからすぐイェーってなっちゃう。そうすると彼らはエンターテイナーだからさ「あっ! あんたたちこれが好みなのね」って、そういうノリでやっちゃう。俺、もうちょっとディープなブルースを聴かせて欲しいのになって思ってた。

*黒田 征太郎
1939年大阪生まれ。高校1年で家出し、米海軍軍用船乗組員として東南アジアを約2年間航行、その後も密輸品運搬、バー経営者など多くの職業を経験。その後、長友啓典と共にデザイン会社設立。1985年EXPO’85科学万博サントリー館壁画制作。同年講談社出版文化賞、さしえ賞受賞、日宣美賞入選・日本グラフィック展「1987年間作家賞」などイラストレーターとして数々の賞を受賞する。

*景山 民夫
1947年東京生まれ。学生時代バンドを組んで東芝からレコードを出す一方、放送作家としての活動も始める。昭和44年渡米し、ニューヨークで1年半コーヒーショップシンガーとして生活。帰国後TBS系「ヤング720」の企画・演出担当を経て、日本テレビ「シャボン玉ホリデー」の放送作家となり、以後「クイズダービー」「11PM」「タモリ倶楽部」「ウソップランド」などを手がける。

*マディ・ウォーターズ Muddy Waters
マディが、サン・ハウスから学んだミシシッピ・ブルースのフィーリングを残しながら、ドラムス以外の全ての楽器をアンプリファイドした時から音楽の歴史を変えたと言っても過言ではない。リトル・ウォルター、ジミー・ロジャース、エルガ・エドモンズを従えたバンドは言わずもがな、アリストクラット・レコード時代に残したフォーク・ブルースからも革命的な音が聴ける。

*バディ・ガイ Buddy Guy
アイク・タナー、マディ・ウォーターズ、ココ・テイラーなどセッションギタリストしてキャリアをスタートし、60年代半ばにはジュニア・ウェルズと多くの名盤を残す。バディの熱いボーカルとソロの真っ只中にぶっ飛びスケール・アウトしていくスリリングなギタープレイはいつまでも色褪せない。8つのグラミー賞と、全米芸術勲章、ケネディセンター栄誉賞など最も成功したブルースマンの一人。

*オーティス・ラッシュ Otis Rush
ビートルズの時代を切り拓いたレッド・ツェッペリンの1stアルバムに収録された『アイ・キャント・クイット・ユー・ベイビー』はラッシュの曲だった。コブラ・レコードに残されたその曲はグルーヴィーでファンキーなチューン。左利きのラッシュは、右利きのギターをひっくり返し、弦を張り替えずにチョーキング・ダウンは、独特のニュアンスを醸し出す唯一のスタイルはスーパークール。

俺たちの音楽
『お掃除おばちゃんの歌』

俺、ずーっとブルース一辺倒ではなかったの。木村君と始めた憂歌団もブルース研究会じゃなかったし「なんか、これいいな!」「おい、これやろうや!」ってそれだけの話。だけどブルース・バンドをやってる研究会の皆さんもいた。それはそれで良い姿勢だけど「あー愚かだな」と思う気持ちもあった。同じことやっても勝てるわけがないんだもん。それは僕らにレコードを出さないかって言ってきたトリオ・レコードの中江(昌彦)さんっていう素晴らしい人の存在もあった。彼はさ、世界を放浪してワイト島でヘンドリックスを観てる様な人で英語も凄く堪能だった。彼は、日本人なのに英語でブルースやってる人たちのことを「本当にあんなことやっていても意味ないよな」っていう人だった。それで、憂歌団の一枚目を出そうってなった時に、英語のカバーも何曲かは良いけど、日本語でやろうやって。それで、一気に日本語でやろうっていう風にシフトしたの。

笑福亭仁鶴さんの『お掃除おばちゃんの歌』。「♪わたしゃビルのお掃除おばちゃん モップ使って仕事する♪」っていうのを練習の時に木村くんが4ビートに乗っけて歌い出したんだ。「おい、それいいな!」っていう、それだけなんだ。もちろんその曲は一番しかないから、*沖さんにあと書いてもらって憂歌団の『おそうじオバチャン』ができた。沖さんのお父さんとお母さんは移民していて外国で苦労してたんだ。それでお父さんの古い下着を、お母さんが縫い直して自分の下着にしていたっていう実話なの。「♪こんな私にも夢がある♪」っていうさ。そいで日本に帰ってきて、大きな土建屋さんになって成功者になっていく。全く無意味な歌ではなかったんだけど、あーそれ面白いなーっていう。俺たち、面白いことをやるのがただ好きだったんだ。

*ワイト島ポップ・フェスティヴァル
1970年8月30日、イングランド南岸にあるワイト島で開催された音楽フェスティヴァル。ウッドストックを超える動員を記録し、ジミ・ヘンドリックス、ザ・フー、ザ・ドアーズ、ジョニ・ミッチェル、シカゴ、ムーディー・ブルース、マイルス・デイヴィス、クリス・クリストファーソン、ジルベルト・ジル、カエターノ・ヴェローゾなど、多種多様なラインナップを誇った。

*ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix
左利きでありながら右利き用のギターを逆さまにして構え、ギターを歯で弾いたり背中に回して弾くその派手なパフォーマンスもさることながら、伝統的なブルースをベースに、それまで誰も聞いたことのなかった斬新なギターサウンドと卓越した演奏技術、そして型にとらわれない自由な即興。その短いキャリアの中でロック・ミュージックにおけるギタープレイの革命を起こしたヘンドリックスは一般の音楽ファンはもちろんプロのミュージシャン達にも大きな衝撃を与えた。

*笑福亭仁鶴
吉本興業が松竹芸能よりも規模が小さい時代に、吉本興業を大きく成長させた立役者であり、「視聴率を5%上げる男」との異名を取った。「四角い仁鶴がまぁ~るくおさめまっせ~」というお馴染みのフレーズで始まる『バラエティー生活笑百科』の司会で知られ、普段から決して人を悪く言ったり批判をしなかった人柄だったという。

*沖てるお
名古屋出身。内田の飲み仲間。それまで英語で歌っていた『Trouble In Mind』に、沖が日本語歌詞をふり、内田がコードにアレンジを加え『嫌んなった』が誕生した。

ブルースこそ
熱度のある音楽

俺の親父は、長く戦争に駆り出されて、シベリアに3年近く抑留されて帰ってきて、鉄関係の仕事を始めて、朝鮮動乱で凄い儲かったりもして、もう戦争から帰ってきた人たちって一回死んだようなもんだから、もう生きてるだけでラッキー、ハッピーなのさ。だから、俺がずっとギター弾いてても「まあ、うんうん好きなもんがあって結構なことですな」って感じだった。

俺は1969年に高校に入学したんだけど、それはウッドストックの年でもあるし、全共闘の時代でもあるんだ。天王寺にあった「マントヒヒ」っていうJAZZをかけるお店には、連合赤軍の人たちが普通にカウンターに居たりしたような環境だったしね。それで70年の大阪万博さ。俺は「反パク」って言って、反万博の方にさらーっと行くんだけど、そしたらもうフォークのお兄さんがワーってなっていたり、ロックの人が凄いデカい音でやってたり、よっぽど万博なんかよりこっちだよなーっと思ってた。そういう時代だったから反抗がCOOLだったっていうことかもしれないね、だからこそブルースという音楽こそ熱度が高くないとダメな音楽だなーと思うのに、ブルースという形があるがために、その形をなぞってる人が、もしかいるとしたら、いやいや勿体無いなと思う。

そいでパンクの人たちが出てきた時に決定的だった、あっ、これだよなと思ったもんね。考えてみたらマディ・ウォーターズだって、ロバート・ジョンソンだって、黒人のミュージシャンこそ本当のパンクスなんだ。だから俺は、ブルースっぽい音楽もやってるけど、やっぱり熱を入れないと。照れ臭いけどソウルがないのは今ひとつやねと思う気持ちでずっとやってる。だからブルースを弾くのも、ロッケンロールを弾くのも、『スターダスト』を弾いてるのも一緒なんだ。本当にニュアンス、心を込めて弾くと分かってもらえるかなと思ってる。だから俺は、BGMができない。『引き潮』だの、『ムーン・リバー』だのもやってるけど、なんかどっかで引っ掛かる。触る様なことをやってしまう。それって「あー、ビリー・ホリデイいいよな、ジャンゴ・ラインハルトいいよな」と思って、それ聴きながら寝ようと思うと、どっかで起こされるんですよ。なんか、ムンズと掴まれて。寝かしてくれない、その感じに似てる。

*ロバート・ジョンソン Robert Leroy Johnson
この世に残るのは29曲42テイクのみ。デルタ特有のトランス感とは一線を画し、ギターでシャッフル・ビートを初めて表現したブルースマンでもある。歌詞が適当だったこの時代に叙情性をもった歌を歌う詩人でもあった。あまりにも有名な「クロス・ロード伝説」についてはここでは語りません。

*ビリー・ホリデイ Billie Holiday
上手いとか下手だとか通りいっぺんの評論では説明できない、時を経ても聴けば分かるホリデイの存在自体が放つ強烈なカリスマ性。ジャズ・ヴォーカルには圧倒的なリズム感や歌唱力に加え、凡庸な楽曲でも非凡にしてしまうソウルが必要なんだと教えられる。その背景には、人種差別や薬物依存症、アルコール依存症との闘いなどの壮絶な人生ドラマがあったことは言うまでにもない。

手軽な時代だから
お気の毒なことを

最近は60年代、70年代のヒットしたリズム&ブルースをよく聴いてる。2枚組の安いベストR&Bみたいなの。もうオーティスから、サム・クック、シュープリームス、レイ・チャールズまでもうすごい沢山入ってる。それをただ流してると、やっぱり歌が歌える人っていうのは色んな事にお金がいらないわけじゃないですか。やっぱり歌が歌える人って凄いということと、モータウン、ファンク・ブラザーズ、MG’sでもグルーヴが凄いし、アレンジがもう秀逸。ほんとに黒人の音楽は完成されてるなーと改めて思う。

ハングリーっていうことが凄く大きいとは思うんだけど、やっぱちょっと違うのかな。*映画『グリーンブック』でもさ、黒人が一般公共施設を使っちゃダメだったそういう時代を乗り越えて、ジャズやリズムアンドブルースっていう形で黒人の人たちは存在してるんだ。本当にガッツがあれば頂点に行けるっていう。で、日本における韓国朝鮮人ね。そういう人たちはやっぱり這い上がってくるよね。やっぱり不便さがあることは大変だけどね。今ってほら、音楽もSPOTIFYとか凄く手軽だよね。俺らの時代はそうではなくて、何千円ものアナログのレコードを買っては集めては聴いてっていう。だから便利すぎると、気の毒なことになってんなーとも思うわけさ。

あのさ、ストーンズ版の『アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン』っていう曲、ジョンとポールが書いた曲にスライド・ギターが入ってるんだ。なんか実際に弾いて覚えていくと、あれなんかこれチューニング違うよなって気がつくんだ。エルモアだったら三弦を半音上げてみたらEみたいなコードが出るんだ「あ!これエルモアの感じじゃないか!」って全部変えてみたりさ。だけどマディは違うよなと思ったら「あ、Gなんだ!」ってことに気が付いて、また下げたりなんかしてさ。本で読んだりした知識じゃないから、一応自分で辿り着いたということだから、凄いやった感があるんだ。楽しいよね、ギターとか音楽とかってさ。いつか飽きるかなーっと思ってたけど70近くなってきてもまだ飽きない。飽きないんだよ。音楽って本当に不思議なんだ。(了)

スウィートなギタープレイヤーは、内田勘太郎です。憂歌団で掻き鳴らした頃も今も。魂のある音楽はいつだって、原点を思い出させてくれる。(1/2)☞戻る

*オーティス・レディング Otis Ray Redding Jr.
ジェイムズ・ブラウンが育った街メイコンで育つ。神への感謝を歌うゴスペルよりも、身近な人生の喜びをエネルギッシュに歌うソウルミュージックを、オーティスは好んで歌うが、二十歳そこそこの若造の歌に心を動かされて止まないのは、アメリカにおけるマイノリティの権利獲得運動(公民権運動)が激しさを増した時代において「誠実」と言う熱度がメッセージがそこにあったからに他ならない。

*サム・クック
『ブリング・イット・オン・ホーム・トゥー・ミー』『ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム』の様なスロー・バラードをはじめ、『エヴリバディ・ラヴズ・トゥー・チャ・チャ・チャ』『ツイスティン・ザ・ナイト・アウェイ』などのアップテンポ楽曲から感じて取れるサム独特なリズムは最高のダンスナンバーだ。

*シュープリームス
黒人と白人の両方にアピールできる抜群の一流アーティストを目指したモータウン・サウンドの象徴的バンド。ダイアナ・ロスという歌姫を有するこのグループは、『ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラヴ』『恋はあせらず』とヒットを量産した。

*レイ・チャールズ
暗闇を生き抜きた偉大なるソウル・シンガー。深く魂のこもったピアノを弾く時も、鍵盤を叩くように激しく弾く時も、歌をシャウトする時も一度その音を聴けば一生忘れられない衝撃を与えてくれるだろう。カニエ・ウェストの大ヒット曲『Gold Digger』にサンプリングされた『アイ・ガッタ・ウーマン』をはじめ、『ヒット・ザ・ロード・ジャック』など全くジャンルレスに偉大なアーティストたちから最大のリスペクトを受ける数少ないミュージシャン。

*映画『グリーンブック』
監督はピーター・ファレリー。キャストは、ヴィゴ・モーテンセン、マハーシャラ・アリら。第91回アカデミー賞では作品賞・助演男優賞など三部門を受賞。ジャマイカ系アメリカ人のクラシック及びジャズピアニストであるドン”ドクター”シャーリーと、シャーリーの運転手兼ボディガードを務めたイタリア系アメリカ人のバウンサー、トニー・ヴァレロンガによって1962年に実際に行われたアメリカ最南部を回るコンサートツアーにインスパイアされた作品。人種、国籍、性別などの区分け、価値観さえも大きく異なる二人の旅が、そういったステレオタイプから離れその人自身を知ろうとすることを教えてくれる。


Profile
Name: 内田勘太郎
DOB: 1954年
POB: 大阪府
Occupation: ギタープレイヤー
https://www.uchidakantaro.com

内田勘太郎(うちだ かんたろう)プロフィール

1970年憂歌団結成。1975年、そのリードギタリストとしてレコードデビュー。ブルースを基調にした独自の世界で全国を席捲し、熱狂的な人気を得た。その天才肌のギタープレイの評価は高く、日本を代表するギタリストとして名を馳せる。70年代当初のカルピスの瓶首を使ったスライド奏法も有名。数々の有名アーティストとのセッションやレコーディング、CM音楽なども多数手がける。

1998年、アルバム『マイ・メロディ』でソロデビュー。1999年より憂歌団無期限活動休止に入り精力的にソロ活動開始。2013年、15年振りに憂歌団再始動。2014年からはソロ活動に加え、憂歌兄弟、憂歌団と活動の幅は広がったが、現在その動きは無い。2016年、初のエッセイ集『内田勘太郎 ブルース漂流記』を刊行。2016年リリースの通算8枚目のソロ・アルバム『DEEP BOTTLE NECK GUITAR』を機に、15歳の時に始まったブルースの旅は半世紀近くを経てデルタブルースに回帰。圧倒的なボトルネック・ギターと指弾きで奏でられる音色は表情豊かで、フィーリングとトーンを肝にジャンル問わず展開中。2019年リリースの『Tohgen Kyo』を含めたソロアルバムは現在9作品。(内田勘太郎トリオ1作品含む)

ソロライブと併行して独自企画として開催しているセッションライブ「YOKOHAMA MEETING」をきっかけに結成した、うじきつよしとの【子供団】、TOSHI-LOW・KOHKIとの【ブラフ団】でも2018年より全国各地に出現中。更に2019年、甲本ヒロトとの新ブルース・ユニット【ブギ連】でアルバム『ブギ連』リリースと共にデビューし、ライブツアーは即完売。話題沸騰した。

最新作は予期せぬコロナ禍での2020年リリースとなった【奇妙礼太郎と内田勘太郎】名義のアルバム『アイコトバハ』。

コロナ禍に入り2020年よりYouTubeでの動画配信とstand.fm 内田勘太郎「秘密の牛小屋」での毎日音声配信をスタート。
YouTubeではメンバーシップも開始。毎月のYouTube LIVEも好評継続中。

2022年6月よりコロナ禍による延期公演からツアー再開。徐々に活動の場を拡大中。

【LIVE INFO】

“奇妙礼太郎と内田勘太郎アルバム『アイコトバハ』遅くなったお披露目会”
[出演]奇妙礼太郎と内田勘太郎

★6月11日(日)大阪難波 music bar S.O.Ra.
OPEN 17:30/START 18:30
前売¥5,500/当日¥6,000(別途1ドリンク代) *指定席
チケット発売日:4/23(日)12:00〜
JOYFUL NOISE電話予約 tel:06-6644-9292
(受付時間12:00~20:00 *最終受付は公演前日20:00まで)
(問)ジョイフルノイズ tel:06-6644-9292(12:00〜20:00)
会場住所:大阪市浪速区湊町1-3-1

★6月12日(月)京都 磔磔
OPEN 18:00/START 19:00
前売¥5,500/当日¥6,000(別途1ドリンク代)
チケット発売日:4/22(土)12:00〜
イープラス https://eplus.jp/sf/detail/3857260001-P0030001
磔磔店頭発売 4/22(土)15:00〜
*ご入場順は磔磔店頭販売にて前売チケットご購入の方から優先となります。
(問)磔磔 tel:075-351-1321
〒600-8061 京都市下京区富小路仏光寺下ル筋屋町136-9

★6月13日(火)名古屋 TOKUZO
OPEN 18:30/START 19:30
前売¥5,500/当日¥6,000(別途1ドリンク代)
一般予約開始:4/22(土)
ネット予約:12:00〜 https://www.tokuzo.com/
電話予約:14:00〜 tel:052-733-3709
*ご入場は予約番号順となります。
(問)TOKUZO tel:052-733-3709
〒464-0850 愛知県名古屋市千種区今池1-6-8 ブルースタービル2F

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